「おかねとは何か」が分かったおかげでついでに分かったことをいくつか書く。
超低金利政策とは単なる「おかねを大量に刷る」作戦である
まずは超低金利政策の一般的な説明をご覧いただこう。
政策金利をゼロ%近辺のきわめて低い水準に保つ、中央銀行の政策。一般に低金利政策は、景気後退期に中央銀行が市中銀行に対する貸出金利(公定歩合)を引き下げ、市中金利を低下させて企業の投資活動を喚起し景気回復を図るものである。・・
ttps://kotobank.jp/word/超低金利政策-1563628#:~:text=政策金利をゼロ%,中央銀行総裁会議(G5%E3%80%82
*ただし、市中金利を引き下げる手法はいろいろで、ここに記載されている公定歩合の引き下げという方法は現在は用いられていない。
私は、超低金利政策が、政策金利の引き下げによって市中金利(銀行が民間人におかねを貸すときの金利)の引き下げを誘導し、銀行の貸付意欲を高めて世の中に出回るおかねの量を増やす作戦であるということは一応理解していた。
しかし、その理解にはやや不正確な点があった。
私は、この政策を、銀行の貸付意欲を刺激することで、銀行がすでに持っているおかねを積極的に(融資に)活用するよう促すための方策であると理解していたのだ。
違いますよね?
銀行は集めたおかねを貸すところではなく、貸すことによっておかねを作るところである。
ということは、超低金利政策によって銀行の貸付を増やす作戦とは、まさに、「おかねをたくさん刷る」作戦そのもの、ということではないか。
すなわち、超低金利政策とは、かなり単純に、政府および日銀が市中銀行に対して「おかねをたくさん刷ってくださいね」とお願いし、おかねをたくさん刷ってもらうという、そういう政策なのである。
*ちなみにこの「おかねをたくさん刷る」という言い回しが純然たる比喩であるということも今回初めて知りました(世間のどの程度の人が知っているのか見当がつきません)。
国債の発行とは?
もう一つ、新たに理解したのは、政府が国債を発行するということの意味である。
おかねとは、公共の信用に基づいて創出され市場に供給される交換価値である
と、こう理解した後、私は、「国債の発行って、政府がおかねを刷っているのと基本的に同じことなのでは?」という疑いを抱いた。
しかしなんとなく確信がもてなかったので少し調べてみたところ、以下のことが分かった。
*「おかねとは何か」を書いた後、孫引きさせてもらった横山昭雄さんの本(『真説 経済・金融の仕組み』(日本評論社、2015年))を入手し、いろいろ教えてもらいました。
日本政府が発行する国債の引受け(政府から直接買うこと)は、金融機関(銀行)によるものがほとんどであるが、個人や一般企業が行う場合もあるらしい。
*なお、日銀の大量買い入れが問題となっているが、日銀は国債をその保有者である銀行から買い入れているのであって、政府から直接引受けているのではない(日銀による国債の引受は法律で禁止されている)。
個人や一般企業に引き受けてもらう場合は、個人や一般企業は彼らが持っているおかねを日本政府に渡し、政府はそれを使うだけなので、世の中に出回るおかねが増えることはない(たしかに!)。
他方、銀行(等)が引き受ける場合、銀行は持っているおかねを日本政府に渡すわけではなく、日本政府に対して、銀行の通常業務である(民間企業等への)貸付と同じことを行う。
ということは、このとき、銀行はおかねを生み出しているのだ。
つまり、銀行が国債を引受ける行為とは、銀行が政府の依頼に応じておかねを作る行為なのである。
問題は債務超過というよりバブル。だが・・
以上のように理解すると、膨大な政府債務についての理解も少し変わってくる。
日本政府の国債等による債務残高は2023年3月末時点で1270兆4990億円と報道されている。
ただ、この「借金」が原因となって日本が破産するようなことがあるかといえば、それはなさそうに思われる。
よく言われることだが、現時点で国債の約半分は日銀が保有し、残りもほとんどは国内の金融機関が保有しているからだ(↓)。
彼らの運命は明らかに日本政府と一蓮托生なのであって、厳しく債務を取り立てて日本政府を破産に追い込むようなことがあるとは考えられない。
一方で、じゃあ日本の財政は安泰かというと、そうとはいえないだろう。破綻のときは、来るとすれば、「借金が返せない」というような形ではなく、バブルの崩壊、金融危機というかたちを取るのではないかと思う。
現在、日本は超低金利政策によっておかねをたくさん刷り(比喩です)、国債の発行によってさらにおかねを刷っている。日銀は市中銀行からの国債大量買い入れを続けているが、これもまた銀行の貸付を促進しおかねを増やすための施策である。
要するに、やたらめったらおかねを市場に注入しているのだ(血液製剤でドーピングしているイメージでご理解ください)。
いま、日本の実体経済はそれほど快調には見えないのに、株価は高騰し、不動産価格も高騰している。海外要素が大きいのだろうが、日本国内でおかねが大量に出回っていることも関係していると思われる。海外も含めてバブルが過熱しているのだ。
この状況が健全でないことは間違いない。しかし、それが日本政府や日銀の政策のせいなのか、彼らの一存でどうにかできることなのかというと‥‥おそらくそうではないのだろう、と私は思っている。
ここから先は、これからの調査に委ねなければならないことなのだが、日本政府がこんな政策をずっと取ってきているのは、アメリカとの関係で必要があってのことである。ここまでは断言できる。
それがどんな感じの話なのか、ということは、もうちょっとで分かりそうな感じなので、もうしばらくお待ちいただきたい。
ちょっとした仮説ー国債残高と対米債権
そういう本質的なこととは別に、「あ、そういうことじゃないか?」と思いついた仮説があるのでお伝えしよう。
日本政府の債務残高のことである。日本の国債残高はこんな感じで(↓)増え続けていて、諸外国と比べても著しく高い水準にある。
この数字は、これだけを見ると、(財務省のサイトにもあるように)「財政の持続可能性」の観点から問題がある。
しかし、私には、歴代の関係者が「まあ仕方ないか」といった調子でなんとなく債務残高を増やしてきたとは思えないのだ。
だって、彼らも日本人なんですよ?
どちらかといえば心配性で、堅実を好む。
まして、大蔵省時代の官僚や、日銀幹部であれば、それは絶対だ。
アメリカに貸しているおかねが関係しているのではないか、というのが私が立てた仮説である。
現在、日本のアメリカ国債の保有量はダントツで世界一だ。
今年(2023年)1月時点の保有額は1兆1040億ドルとされているが、この数字には民間部門の保有も含まれているので日本政府の保有額がどのくらいかは分からない。
*日本円(1ドル140円で計算)で約141兆4460億円
そして、そもそもの話として、歴代の日本政府は、表には全く出ない形で、アメリカ政府に超多額のおかねを融通してきたと言われている。冷戦期以後の増大する国防費用の多くは、日本が支払ったと(普通に)言われているのだ。
暗黙の取引——つまりアメリカは安全保障を提供し、日本はその費用を支払うという取引——は、1991年の湾岸戦争でより明確になった。最終的に日本は砂漠の嵐作戦の費用として、約130億ドルを負担した。一部には、アメリカが湾岸戦争で純益をあげたと示唆する推計さえある。
スーザン・ストレンジ『マッド・マネー カジノ資本主義の現段階』(岩波現代文庫、2009年)93頁
したがって、日本がアメリカに対して、実際には、日本の債務残高に匹敵する(か超える)レベルのおかねを貸していたとしても、まったく不思議ではないのである。
もちろん、日本がアメリカに貸しているおかねは、ある程度表に出ているものを含めて(裏帳簿はもちろん)、返ってくる見込みがまったくないおかねである。
下村治さんが1988年の著書で書いている。
・・折角の外貨をアメリカなんかに貸さないで、国内の設備投資や公共投資に振り向けるべきだ、という議論を展開する人がいることを前に述べたが、こういう人に対して私はこう質問したい。
下村治『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(文春文庫、2009年)200頁
輸出超過によって稼ぎ、アメリカに貸しているカネは日本のものだと、あなたは本気で思っているのですか、と。
そんなことは最初から、分かる人には分かっていた。
だから私は思うのだ。
「アメリカに貸しているカネの限度までは、国債で払っても構わない」という暗黙の了解が、関係者の間に存在しているのではないか、と。
返ってくる見込みのないカネをあてにするなんておかしい、と思うかもしれない。もちろん、あてにしているわけではないだろう。
アメリカに貸したカネが返ってこないことが公になるときとは、ドルが崩壊し、アメリカの覇権が終わるときである。
その激動のときに、国内の国債保有者の誰が、日本政府に「借金を返せ」などと言うだろうか。いや、まあ言う人はいるだろうが、政府は「払えない」といって払わなければいいだけの話だ。
借金とか金融資産とかいうものは、本来そういうものである。
下村・203頁
だから、少なくともいまこの時においては、日本の債務残高の大きさなど、何の問題でもない、と私は思う。
しかし、「真の問題は・・」と格好のいいことを書くには、まだ知らないことが多すぎる。引き続き調査研究を進めたい。